人間の条件 プロローグ2

p13 私たちは機械の奴隷というよりはむしろ技術的知識の救いがたい奴隷となるだろう。そして、それがどれほど恐るべきものであるにしても、技術的に可能なあらゆるからくりに左右される思考なき被造物となるであろう。

全体主義イデオロギーと科学技術信仰がだぶって見える。科学的な世界認識=「真理」はもはや普通の言葉で表現できず、私たちの物質的な条件である脳は理解することができない。したがって、知識と思考の分離が起こる。言葉で表現できないということは、活動においてどういう意味をもたらすだろうか。


p14 人々が行ない、知り、経験するものはなんであれ、それについて語られる限りにおいてのみ有意味である。

科学者も政治的活動が求められるのではないか。例えば、地球環境問題に関する諸説などは人々の理解できる範疇を超えており、結局どの専門家の意見が説得力があるか、ということでしか意見を決めることができない。そのとき我々は思考なき被造物となっているといえる。


p14 オートメーションのおかげで、おそらくここ数十年のうちに工場から人はいなくなり、人間は、その最も古く、最も自然な労働の重荷と必要の絆から解放されるだろう。
p15 近代は理論の上で労働を栄光あるものとし、その結果、社会全体は労働社会へと事実上変貌を遂げた。したがって、おとぎ話の中でかなえられる望みにも似て、労働からの解放という願望が実現される瞬間、この願望の実現そのものが帳消しになってしまう。

労働社会は、労働以上の崇高な活動力については何も知らないとアレントは述べる。アレントは労働が必要以上に賞賛されているという意見だが、労働社会においては労働をすることが、我々にとって幸福であるということなのだろうか。


p15 人間の他の能力の回復の新しい出発点となりうる政治的あるいは精神的な貴族性もない。
アレントの主張する、共同体への帰属権ということか。後に出てくるだろう。


p16 人間の条件から生まれた人間の永続的な一般的能力の分析に限定されている。
私たちが行っていること、の分析。活動的生活、すなわち労働、仕事、活動の分析をすることで、人間のあるべき姿を考えるのがこの本のテーマではないだろうか。


論点
オートメーションは労働からの解放という有史以来の人間の願望が込められている。しかし私たちの生きている社会=労働社会では仕事をしないと生きてはいけない社会であるのは何故だろうか。生きていけないとは、経済的にも、社会的にも、精神的にも生きてはいけないという意味である。